プロフィール


はじめまして。心理カウンセラーの栗山ひなたです。


私はこれまで精神科の看護師として15年以上、患者さんや職員への心のケアに携わってきました。


でも、人の心に深く触れる瞬間、胸の奥に不安がよぎることがありました。


「自分の心に寄り添えない私が、本当に人の心に寄り添えるんだろうか」


幼い頃から心の奥にあったのは、「ありのままの自分では愛されない」という漠然とした不安。


長い間「弱い自分を見せたら嫌われる」と信じ込み、期待に応えようと頑張ったり、平気なフリをしたりして自分を守ってきました。


「どれだけ頑張っても、なぜか取り残されていく」
そんな感覚が、ずっと心の奥にありました。

しかし、カウンセリングと出会い、自分と深く向き合えたことで、人生は大きく変わりました。

「私の弱さが、誰かの心に寄り添うための力に変わる」
そう気づいた時、私は初めてありのままの自分で人と繋がりたいと思えたのです。

子どもの頃の私は、とても人見知りで、集団の輪に入っていくことが苦手でした。


母はきっと、明るくハキハキした、誰からも愛されるような子であってほしかったのだと思います。


だから、そういう子が「いい子」なのだと、幼いながらに信じていました。

今でも忘れられない光景があります。


幼稚園の頃、母に連れていかれた音楽教室でのことです。


部屋の中では、同い年くらいの子たちが歌ったり、楽器を鳴らしたり、とても楽しそう。


母は私の背中を押して、「行ってきなさい」と言いました。


「私も輪の中に入りたい」
「みんなと同じようにはしゃぎたい。」



気持ちは前を向いているのに、足が床に張り付いたように、一歩も前に出ませんでした。

「早くしないと…、でも、うごけない…」
「なんでわたしだけできないの?」
「たすけて…でもいえない…」



胸の奥がぎゅっと締めつけられる…


「私だけが、みんなと違う」


一人取り残されていくようで、怖かった…
助けてほしいのに、誰も気づいてはくれませんでした。


母の顔が、しだいに曇っていくのがわかりました。
母の期待が、失望に変わる瞬間でした。


「またお母さんをがっかりさせてしまった」
「私は、お母さんの期待に応えられない」


でも同時に、心の奥で叫んでいました。

「ちがうよ! 本当はやりたいんだよ!」
「なのに…どうしてもできないの!」
「私のこと、わかって!」



できない自分への歯がゆさと情けなさ、母への罪悪感、わかってもらえない孤独。
「私は普通の子みたいにできない」——そんな無力感でいっぱいでした。

小学校低学年——母に認められたくて必死だった


小学校に入学すると、私は算数が得意で、先生や友達からほめられました。


その時、「頑張れば、人は認めてくれるんだ」と思ったのです。



そこからは必死でした。


参観日には勇気をふり絞って、誰よりも早く手をあげました。


漢字の練習を一生懸命して母に見せました。


母からの「すごいね」「頑張ったね」——ただその一言が聞きたかった…


でも返ってきたのは、
「手のあげ方が悪い」「字が汚い」という言葉でした。

期待していた分、その言葉はとてもショックでした。


 「なんで?」
 「どうしたらいいの?」
 「私は、何を頑張ってもダメなの?」



がんばっても、がんばっても、認めてもらえない…  


だから私は思いました。


「きっともっともっと頑張らなければいけないんだ」
「私には何かが足りないんだ」



今ふり返ると、あの頃の私は「まだ足りないんだ」「もっと頑張ればきっと…」そう信じることで、なんとか希望をつないでいたように思います。

「もっともっと頑張らなければ」という気持ちは、いつしか「絶対に失敗してはいけない」という、強烈なプレッシャーに変わっていました。



決定的な出来事は、小学4年生の音楽のテストで起こりました。


一人ずつ、みんなの前で歌うテスト。


私の前の席の子が、上手に歌って先生にほめられるのを見て、心臓が大きく音を立て始めました。

「私も、あんな風にほめられたい」
「でも、うまく歌えなかったら…?」


不安と緊張で、のどがきゅっと締まっていく…


自分の番が来て、みんなの前に立った瞬間、みんなの視線が突き刺さるように感じました。


声が出ない…

焦れば焦るほど体が固まり、顔が真っ赤になっていくのがわかりました。


シーンと静まり返った教室の空気…
向けられる無言の視線が、すごく怖かったです。

「どうしよう…できない子だと思われる」
「みんなが私を変だと思ってる…」
「どうして私ばっかり、こうなるの?」


逃げ出したい気持ちでいっぱいなのに、


「大丈夫なふりをしなきゃ」
「平気に見せなきゃ」



そうやって自分を追い込んでいました。

それ以来、私の頭の中はいつも「失敗したらどうしよう」でいっぱいになりました。


人前に立つと、心臓がドクドク鳴り、足がすくんで動けなくなりました。

小学校で積み重なった体験から、私の中には「失敗したらダメ」「できない私はダメ」という思いが根づいていました。

そして、できない子、変な子だと思われないように「大丈夫な私」でいなきゃと、思い込むようになっていました。


「大丈夫に見える私」は、母をがっかりさせない私。


みんなと同じにできる「普通の子」。


そして、ここにいてもいいと思える価値のある私でした。


ある日、同じ部活の仲間から突然、
「前からムカついてた」と言われ、机を蹴られました。

一瞬、何が起きたのかわかりませんでした。

「えっ、私が?」
「どうして?」



あまりの衝撃に言葉も出ず、ただ、涙がこぼれ落ちないようにするのに必死でした。

「何が悪かったの?」
「ぜんぜん意味がわからない」
「嫌われるようなことした覚えなんてないのに…」


わけが分からなくて混乱する一方で、心の奥では「やっぱり」って思っていました。


「私の中に、人を怒らせてしまう何かがあるんだ」



そう思わずにはいられなかったのです。

その感覚は、幼い頃に母から何をしても受け入れてもらえなかったときの、
あの「どうしたらいいのかわからない」感覚と重なっていました。

それ以降、部活の一部の子たちから無視や陰口が続きました。


学校へ向かう足取りが、毎日とても重かった…


「やっぱり私は、ここにいてはいけない子」


本当は、すぐにでも部活を辞めたかった。


でも、母に知られるのが、何よりも怖かった。

「いじめられる自分はダメな自分」


それを母に知られてがっかりされたり、心配をかけたりすることで、
「もっとダメな自分になってしまう」
そんなふうに感じていました。

だから誰にも言えず、「平気なふり」をするしかありませんでした。

「平気なふりができる私=ここにいてもいい私」
そうでなければ、私はここにいられない気がしていました。

高校に入る頃には、「平気なフリ」はすっかり板についていました。


いつもニコニコ穏やかな私。友達と笑い合い、それなりに楽しい時間でした。


でも、なぜか家に帰る頃にはどっと疲れている。


「なんか気をつかってしまう」
「楽しいはずなのに、心から笑えない」



さらに高校には、勉強も運動も、私よりずっとできる人がたくさんいました。


「私には何もない」
「頑張っても追いつけない」



気づけば、やる気がどんどんしぼんでいきました。


外側は穏やか、でも心の奥はいつもざわざわしていました。


「私って何者なんだろう」
「このままでいいの?」



そんな空っぽな感覚に、焦りと不安が広がっていきました。


高校時代、やる気を失ったまま過ごした私は、やっぱり結果を出せず大学受験に失敗しました。

「やっぱりな…」
「ほら、結局私はダメなんだ」


そして、母の「資格があれば安心だから」という言葉に背中を押され、看護学校に入学しました。


入学後は、やる気のある同級生に気持ちの上でついていけない自分がいました。


グループワークで、自らの体験や思いを、堂々と語る同級生たち。


私の番が近づくにつれて、心臓が大きく鳴り始めます。

「話せることがない」
「みんなみたいに、立派なことなんて言えない」


そう思ううちに、周りの声がだんだん遠くなっていきました。


自分の番になると、頭の中は真っ白…。


「言葉が出ない」


グループワークがストップし、視線が私に集まりました。

みんなは何も言わないけれど、なぜか責められているように感じました。

「みんなに迷惑をかけてる」
「ここから逃げ出したい」
「私だけが、特別ダメで空っぽな人間」


周りはみんなキラキラしていて、まっすぐ前を見て進んでいるように見えました。


それに比べて私は——

「気持ちがついていかない」
「頑張れない自分」
「みんなみたいに輝きたいのに、私にはその資格がない気がする」


実習や課題に追われる中で、焦りばかりがつのっていきました。


「ぐずぐずしてたら置いていかれる」
「追いかけても、結局追いつけない…」


心の中で自分を責めながらも、 笑ってごまかして、取り繕って、必死で「大丈夫な私」を演じようとしていました。

もはや自分が、何を守っているのかもよくわからなくなっていました。

胸の奥は、焦りと無力感、劣等感と罪悪感がごちゃまぜで、体がぎゅっと縮こまっていくようでした。    
                                                          

看護師として働き始め、とにかく必死でした。


自信のなさを抱えながらも、「やるしかない」と、目の前の仕事に無我夢中で取り組み、一つひとつできることを増やしていきました。


数年経つ頃には、任される仕事も増え、「私でも、誰かの役に立てるんだ」という、ささやかな手応えを感じられるようになっていました。


そんな時、精神科病棟へ配属になりました。


そこで出会った患者さんたちの姿に、私はハッとしました。


社会の中で、どこか息苦しそうにしている姿。


見えない心の痛みを、誰にもわかってもらえずにいる姿。

それは、まるでこれまでの自分を見ているようでした。


「平気なフリ」の裏で、ずっと怯えていた私。
「私が悪いんだ」と、自分の心にフタをしてきた私。


初めて、自分の弱さやこれまでの経験が、意味のあるものに感じられました。


患者さんたちは、私にとって支えるべき対象であると同時に、初めて出会えた「同士」のようでした。


「寄り添い、共に悩み、支えたい」「そのためにもっと力をつけたい」


そんな思いから大学院への進学を決めました。

心の奥では、
「揺るぎない価値を得て自信を持ちたい」そんな思いもあったと思います。

しかし、そこで私を待っていたのは、看護学校の時と同じような、厳しい現実でした。


自信を持って、専門知識をスラスラと語る優秀な同期たち。
それに比べて、私の意見はなんて浅くて、頼りないんだろう…


「やっぱり私は場違いなんだ」
「私だけ、何もない…」



胸の奥がぎゅっと締めつけられ、失望感でいっぱいになりました。


それでも、心の奥にはどうしてもあきらめきれない思いが残っていました。


「追いつきたい」
「みんなのようになりたい」
「私も、ここにいたい」



それは、小さな希望のようでもありました。


でも同時に、


「このままじゃダメだ」
「もっと頑張らなきゃ」



と、自分を追い詰める強い欲求にもなっていました。


「頑張りたい気持ち」と「それでもダメだと思う苦しさ」


焦れば焦るほど、自信はどんどんなくなっていきました。

数年後、家庭の事情でUターンし地元の病院に転職しました。


大学院で学び、看護師としてのキャリアも重ねてきた。


「今度こそ、自信を持って働けるかもしれない」—— そんな淡い期待を抱いていました。

しかし、働き始めて1か月たった頃、上司に呼び出され、突然、こんな言葉を突きつけられました。


「あなたが来たことで、みんなが不安になってる」
「あなたのやり方は、ここでは通用しない」



その瞬間、頭の中が真っ白になりました。


「私がみんなを不安にしている…」

まるで存在ごと否定されたようで、ただただつらかったです。


家に帰っても、その言葉が耳から離れませんでした。

「どうして?なぜ私だけ?」
「頑張っても、やっぱり受け入れてもらえない…」



これまで積み重ねてきた努力や経験が、全部無意味に感じられました。


深く落ち込む一方で、
心の奥では「どうしてそんな言い方をされなきゃいけないの?」という理不尽さも確かにありました。

でも、言い返すことはできませんでした。


波風を立てるのが怖くて、どう立ち回ればいいのかもわからない。
ただ、平気な顔をしてやり過ごすしかありませんでした。


「結局、私は変わっていない」


何度繰り返しても、同じ壁にぶつかる気がしました。


「頑張れていたのかな…?」


むしろ、空回りばかりしていた気がして、ますます自信がなくなりました。


努力した分だけ、空しさが大きくなっていくようでした。


地元での再就職での挫折を経て、私はますます自信を失っていました。


「どうして私はうまくいかないんだろう…」


「どうせダメだ」という思いが強くなる一方で、心の奥では「本当にこのままでいいの?」と問いかける自分もいました。


変わる自信はまるでなかったけれど、


「どうにかして抜け出したい…」


そんな思いから、心理学を学び始め、カウンセリング講座にたどり着きました。


誰かを救いたい、というよりも、まず「自分が救われたい」という、藁にもすがる思いでした。


そこで講師が語った言葉。「弱さは悪いものじゃない」という一言に、今まで張り詰めていた糸がすーっと解けていくのを感じました。

本当はずっと、「弱くてもいいんだよ」「そのままでいていいんだよ」
そう言ってもらいたかったんだ…。

ずっと誰かに、弱さごと受け入れてもらいたかった…。
けれど、私はその言葉を受け取れないまま、弱い自分をずっと責めてきました。

「弱い自分はダメ」
「失敗する自分はダメ」
「弱さをかくさなきゃ」
「もっともっと頑張らなきゃ」


こんな言葉を繰り返してきました。

でもあのとき、ようやく私は自分で自分を苦しめてきたことに気づき、


初めて「弱さごとここにいていいんだ」と心から思えたのです。

学びを深めていく中で、私はなぜ人の顔色ばかりうかがい、自分を責め続けてしまうのか、その心の仕組みを理解できるようになっていきました。

受講生同士で行ったカウンセリング練習では、


私の話し方はぎこちなく、自信のなさが相手に伝わるのが怖くてしかたなかった…


ところが、そんな私に練習相手は、「安心感がある」「受け入れてくれる感じがする」と言ってくれたのです。


その瞬間、「えっ…私が?」という驚き。



そして、


「このままの自分でも、誰かの心に寄り添えるんだ」
「ありのままの私にも、ちゃんと価値があるんだ」



そう思えた時、胸の奥がじんわり温かくなりました。


その気づきは、私の生き方そのものを変えていきました。


弱さを隠すのではなく、抱えたまま前に進めるようになりました。

私は長い間、自分に自信がなく、挑戦することが怖くて、いつも周りに合わせて生きていました。


「嫌われないように」「波風を立てないように」と、自分の気持ちに蓋をし続けた日々。


そんな私が大きく変わったのは、ありのままの自分をまるごと受け入れられたときでした。


かつて「どんなに頑張っても取り残されてしまう」と感じていた私が、
「弱さごと前に進んでいい自分」として、一歩を踏み出せるようになりました。



そして今は、「私にもできるんだ」という喜びや自信が心を少しずつ満たしてくれています。

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